篠崎の独り言

ハゲ頭のヒゲ面が頭に浮かんだ事を適当に書き殴るブログ。責任感の強い男なので、飽きたらやめます。twitter→@cmjtm4hc8

何故人は部屋を片付けられないのか?それはモノグサな思考回路があるんじゃないかなぁって話

 ゴミ屋敷とはよく言ったもので、世の中には物を片付けられない人間が一定数存在している。

 床一面を服やら本やらゴミやらで塗り潰すモノグサなアーティスト達は、今日も望まれぬ作品をこの世に生み出し、その弊害を他の誰でもないその身に受けながら、ハウスダスト舞い散る部屋で眠りにつくのだ。

 巨匠とは比べるべくも無いが、僕もそんなアーティスト達の仲間とも言える存在であり、部屋の床は脱ぎ捨てた服やビニール袋で埋め尽くされている。本やらゲームのコードなんかもあるので、足の踏み場がないったらありゃしない。空のCDケースを踏み砕くなんて事も時々ある。絶対そのうち怪我する。

 もちろん僕はその現状に満足している訳ではない。むしろ困る事ばかりだし、照明やエアコンのリモコンが見つからない時などは自分でも引くくらいにキレ散らかしてしまう。

 20後半の男がその程度の事で感情剥き出しに怒り出すのもそれはそれで問題なのだが、その辺は今回の話とはあまり関係無いので割愛する。ていうか認めなくないよね。なんであんなにキレちゃうんだろー?(CV:高山みなみ

 閑話休題。ではなぜ困る事が分かってて掃除が出来ないのか。それどころか日々ゴミを増やすのか。今日はそんな掃除が出来ない人間の思考を、実際に掃除が出来ない僕が言い訳を交えながら説明していきたいと思う。あくまでも一個人の意見に過ぎないが。

 それでは参る。邪ッッッ!

 

 エンジンの掛かってない車は走れない。

 

 はい。というわけで話していきましょうか。まずはタイトル回収。

 見出しで書いた通りエンジンの掛かってない車は走れない。何故か。それエンジンが掛かっていないからである。答えはいつでも疑問の中にある。日常とは国語の文章問題の様なのだ。どういう事?

 結局なにが言いたいのかいうと、掃除も車と同じ、エンジンが掛からないと着手する事が出来ないのだ。上手いこと本題に絡められた。

 つまり、どんなに現状が悪いと分かっていても、それを打破する為に行動する為の原動力が、掃除が出来ない人達はそもそも欠落しているのである。

 これが普通の人であれば、汚い部屋で住みたくないという思考が直接原動力になる…んだと思う。損得の考えで、汚い部屋に住むのと掃除の手間のデメリットを天秤に掛け、前者の秤が落ちる人種が綺麗な部屋で美味しい空気を吸う事が出来るのだ。ずるいですね。

 対して掃除が出来ない人種はどうか。簡単な話先述した秤の後者が落ちるのだ。汚い部屋に住むデメリットよりも、掃除の手間の方が面倒なのである。

 そうなると、掃除出来る人間の様に綺麗な部屋に住むメリットを原動力に行動する事が出来ない。つまり、車で言うところのガソリンがない状態なのである。だから走れない。掃除が始められない。ベッドに寝転んで、いつまでもtwitterYouTubeで時間を潰し、気付けば夜も更け寝る時間。悔恨の念にかられながら床に就く…と。打ってて死にたくなってきた。

 なので、どうにかしてこのガソリンを調達し、エンジンを掛ける事が出来なければ、モノグサな人間はいつまでも掃除に着手する事が出来ないのである。これがいつまでもダラダラ掃除をしださない理由である。(あくまで僕は)

 

 ちょっとした行動すら面倒くさがる。驚異のモノグサさ。

 

 続いて、そもそも何故ゴミが増えていってしまうのか問題の説明をしようと思う。

 想像してほしい。今貴方の目の前には大量の南京錠でガチガチなった扉があり、その手には南京錠の鍵が握られている。

 しかし、遠回りすれば扉のない道を通って目的地にたどり着く事が出来る。到着時間がどちらも変わらない場合、貴方はどちらのルートを通りますか?

 実際にこの問の答えがどれくらいの比率で別れるかは見当もつかないが、質問の意味は皆感じてもらえると思う。そう。鍵を開ける手間を取るかただ歩いて目的地にたどり着くかのどちらを取るかと言った問だ。

 多分、この問ならどちらの言い分も分かると思う。鍵を開けるのも面倒だし、遠回りするのも面倒だよね。どっちの意見も分かるよって思ってくれる人が大半の筈だ。自身ないけど。

 じゃあこれが南京錠が一個ならどうか。目の前の扉を開ける人の割合が増えたと思う。ではそもそも鍵がかかっていなかったら?

 これはもう扉を選択する人が大半だろう。しかし、ここでまだ遠回りを選択する知的生命体の風上にも置けない生き物が存在する。そう!部屋に物を増やす人種だ!(もしかしたら僕だけかもしれない)

 何故目の前の扉の方が圧倒的に早いのに遠回りをするのか。それは扉を開ける手間よりも、何も考えず歩いた方が楽だからだ。言ってる意味わかります?僕は分からなくなってきました。

 とにかく、些細な行動すら嫌う程のモノグサなのだ。

 だから一度部屋に置いてしまったものは中々動かす事が出来ないのである。それは寝る前に読んだ本だったり、朝洗濯出せばいいやと脱ぎ捨てた服だったり、そういうさまざまな理由で一度床に置いたものは中々片付けようと思えないのである。

(顔洗う時に服持っていけばいいけど、なんか〝掴んで〟〝拾って〟〝洗濯機〟に入れるの面倒だな…後ででいいや)

(ビニール袋…結構落ちてきたな。ゴミ箱…いっぱいだ。いいやこのままで、〝拾う〟のも面倒くさいし)

 このように、おおよそ幼稚園児でも出来るであろう行動を、いい大人が中々実行する事が出来ないのだ。

 理解が出来ませんか?大丈夫!僕もさっぱり理解が出来ません。自分がどうしたいのか自分がいちばん分からないです。こう思ってるのは僕だけではない筈。そうだったら泣いちゃう。

  これはオタクに向けた例え話だが、観ようと思ってたアニメを中々観出せず、結局一度観たことあるアニメを反芻するように観るあの感覚と似てると思う。新しいアニメを見る物を片付けて部屋を綺麗にする。そう言った精神的に一歩進む変化すら面倒になっているのかもしれない。多分だけど。よく分からん。馬鹿なので自己分析もロクに出来ない。

 

 うまくまとまらなかったが、以上が物が増え続ける理由である。とにかく然るべき場所に置く事すら面倒なのだ。一言で終わってしまった。今までの例え話はなんだったんだ。

 

 終わり

 

 如何だったろうか。以上が部屋が汚い人種…というより僕の思考である。とにかくまとめると、モノグサが災いして部屋に物がたまり、掃除の原動力がない事がそれに拍車を掛けるのである。上手いことまとまった。ぶっちゃけここだけでいいレベルだ。

 つまるところ全ての原因はモノグサにある。モノグサでなければ物は溜まらないし、掃除の手間といったハードルも下がる。モノグサというより気力の無さと言った方が正しいかもしれない。

 その証拠に、一度気合を入れて動き出すと徐々にエンジンが掛かってくる。行動する為の原動力が行動する事という実にどうしようもないジレンマだが、事実、そうしないと中々動き出せないので仕方がない。最大のハードルは初手、動き出しなのだ(アニメも観だしたら止まらないし)

 そんなこんなで最近は、クソ軽いダンベで寝転びながらダンベルカールをする事で、何か行動する為のハードルを下げる所から始めている。そもそもこのダンベルを持つこと自体が面倒な場合も多いが(というか大半)、いざやりだすと中々動き出せたりするので、結構重宝している。オモチャのネジ巻きみたいだよね。誰がブリキのロボットだよ。

 

 僕自身としても、一日の終わりに自己嫌悪で凹むのはもう真っ平御免なので、こうして日々リハビリにも似た行動をして、徐々に徐々に、モノグサを直していきたいなぁと思う。

 

 というわけで、そんなリハビリの一環である長文日記でした。今日は沢山書けました。

 

 いつかモノグサが直ったら、綺麗な部屋で沢山文字を打ちたいですね。終わり!バイバイ!