篠崎の独り言

ハゲ頭のヒゲ面が頭に浮かんだ事を適当に書き殴るブログ。責任感の強い男なので、飽きたらやめます。twitter→@cmjtm4hc8

ドングリの思い出

小さい頃、よく祖父と一緒に近くの草むらでドングリを拾っていた記憶があります。小さい子供はなんであんなにドングリが好きなんでしょう。幼稚園などでドングリを沢山集められた者は一躍ヒーローになり、古屋の裏に大量に落ちてるのを見つけるやいなや、お前らはタイムセールに燃える主婦かと突っ込みたくなるレベルで我先にと群がります。今思えば社会の縮図だったのかもしれません。

その日は、確かドングリ争奪戦に負けた様な記憶があります。全然ドングリを手にする事が出来ず、家で全然取れなかったと泣いていたところを祖父の背負われて家を出た映像が、今でもぼんやり頭の中にあります。

そして向かった原っぱにはそれはもう大量のドングリが落ちていて、まるで宝の山でも見つけたかの様に僕は喜びました。まぁ実際は宝じゃなくてドングリですけど、リスでもあんなに喜ばないと思う。

他の子供達の手が及んでいない、純真無垢な原っぱで一心不乱にドングリを拾う僕。一見微笑ましいですが、見方を変えれば小さな村を蹂躙して生娘を拐う山賊の図もピッタリ当てはまります。微笑ましいのはあくまで人間としての観点で、ドングリからすれば僕は恐怖の対象でしょうね。そうやって僕らはいつも人間のエゴの中で生きているのです。この捻くれた感想絶対いらないだろ。

散々拾って、バケツに大量のドングリを入れてご満悦の僕でしたが、そこから祖父は更に僕を夢中にさせました。皆さんも作った経験がおありでしょう。そう、ドングリゴマです。

今まで集めるだけでその後の用途は全くの虚無だったドングリに、おもちゃとして遊べるという幼少時代においてこれ以上ない属性を付与させる祖父の手は、さながら神の手でした。ゴッドハンドです。ちなみに祖父はよくその手でガラスの瓶に捕まえた毛虫を入れ、一杯になったら近くの川に捨てるという行為もしていました。悪魔ですよ悪魔。多分ルシファーの手とかそんなんだったんだと思います。

やり方を教えてもらい、僕も無我夢中でドングリゴマを作ります。濡らした玄関のコンクリート部分にドングリの平たい方を押し付け、墨摩りの要領で平たい部分(正式名称なに?)を徐々に柔らかくしていきます。

そしてある程度柔らかくなったところで、爪楊枝を刺し、見事ドングリゴマの完成です。柔らかくしてから刺すという行為も、なんだか達成感があって楽しかった記憶があります。人とか刺す人間に育たなくてほんと良かった。

そして出来上がったそれを、祖父と夢中になって回したような気がします。もう20年以上前になりますし、大分ボヤッとしていますが…

ただ楽しかったのはしっかり覚えてます。何かを作って楽しむ…大人になってから忘れた感情だな、と思いかけましたが、そういえば友達の誕生日にライオンのフィギュアと箱を接着剤でくっつけたのをプレゼントしたり、逆に自分の誕生日に小さな動物のフィギュアを置いた森に模した謎のクリアケースを貰ったりと大分身近な存在でした。精神年齢全く変わってないだろこれ。

 

まぁそんなこんなで、そんな楽しい記憶もあったぁと、今は誰かの私有地になるも全く管理されず、背の高い草だらけになってしまった原っぱを見て思ったのでした。

そんな昼間の散歩の日記です。

 

終わり。